HOME組織概要活動・研修・会議予定リンク全国大会障害者総合支援法お問い合わせ

宗澤忠雄の「福祉の世界に夢うつつ」ブログより


ロールペーパーをはずしてしまう知的障害者施設 (2012年04月09日)
 先日、成人した知的障害の子を持つ親御さんたちと議論する機会がありました。その場で出された深刻な問題の中に、トイレのロールペーパーをはずしたままにする(もちろん、ちり紙も置かない)生活施設があるという指摘がありました。

管理優先の施設の事情
 ロールペーパーをトイレからはずしてしまう施設の事情は、およそ次のとおりです。
 知的障害のある施設利用者の一部にこだわりの強い人がいて、その人がロールペーパー辺りに何らかの執着を持って、ロールペーパーを丸ごと便器に突っ込んでしまう、ロールペーパーを全部引き出してしまう、あるいは、ロールペーパーホルダーを壊すなどの行動を繰り返すことがあります。
 便器にロールペーパーの塊が詰まってしまうと、それを取り除くのに30〜40分は職員の手が取られるために、ただでさえ利用者支援に多忙で手の足りない施設には大きな負担がかかります。しかも、浄化槽の施設であれば、積もりつもって浄化槽の修理に至ることを心配する向きもあるでしょう。
 夜勤の職員が仮眠をとっているさなかに、トイレから「カラカラ、カラカラカラ」とロールペーパーを引き出す音が聞こえてくると、思わず「天を仰ぐような」心境に陥るという施設職員の話を伺ったこともあります。ホルダーを壊されては新調するのも「骨折り損のくたびれもうけ」のように思えてくるのでしょう。
 ただし、入所施設の予算規模からいえば、ロールペーパーやホルダーの金額自体は微々たるものに過ぎません。
 しかし、このようなことを繰り返されるのであれば、いっそのことトイレからロールペーパーをはずし、用を足したい人はその都度職員に申し出てロールペーパーを出してもらう「ルール」にしようと、一部の施設は考えてしまうのです。
 これで管理は楽になるでしょうが、弊害はまことに大きい。

問題解決どころか……
 まず、このような問題のある行動を繰り返す利用者は多くとも何人かに限定できるはずなのに、その他大勢の何も問題を起こしていない人たちは、トイレで用を足そうとするたびに不自由を強いられてしまいます。夜中に用を足そうとすれば、仮眠中の職員をたたき起こし、やっとの思いでロールペーパーをもらえるなんて馬鹿げています。「今にも出そうな感じ」で我慢の限界に達しているときでさえ「ロールペーパーを下さい」と申し出なければならないというのですから、耐え難い忍従を強いていることは間違いありません。

 次に、用を足すたびに「申し出る」というルールを活用できるのは、言語的コミュニケーションの面であまり困難のない人に限られます。言語表現に困難の高い人や、ましてやロールペーパーをめぐる問題を起こすような利用者にとっては、「その都度申し出る」ことはできないのですから、用を足したままの状態(お尻を拭くこともない状態)で放置される現実が出てきてしまうのです。
 つまり、このような「ルール」には問題解決のためのいかなる合理性もありません。それどころか、「トイレで用を足す」という生理的生存水準の保障(古典的貧困に対する救貧法的水準!)さえ自分たちの果たすべき仕事と捉えきれておらず、重大な人権侵害行為(障害者虐待防止法からいえば、明白なネグレクトに該当する)を作りだしている施設とさえいえるでしょう。
 では、なぜこのような基本的人権の侵害が施設に出来するのでしょうか。

支援のプロとして
 一つは、施設と施設職員が、暮らしの中の人権を具体的な生活内容と合理的配慮のあり方として理解しきれていない致命的な問題を指摘できます。
 今日的なディーセント・ライフ(人たるに値する現代的生活水準)を基準として暮らしのあり方と支援を考慮するのであれば、トイレに入ってロールペーパーがないという事態を「合理的なルール」と考える「支援者主体の施設」がいかに倒錯しているかを理解できないわけがないでしょう。
 もう一つは、このような現状にある施設にしばしば見受けられるパターンで、「貧しい施設の条件の下で頑張っている」のだが「そこまでは手が回らない」などという考え方に陥りがちな点です。所与の条件の下であれ、必要な知恵と工夫を編み出していかなければならないという課題が、いつの間にか放置される問題です。
 先に述べた「今日的なディーセント・ライフ」の保障が自分たちの職責だという自覚が真に持てているのなら、それを実現するための知恵と工夫を施設利用者の現状にふさわしく創造できなければならないのです。これは、プロとして引き受けなければならない最低限度の責任です。
 たとえば、ロールペーパーをめぐって問題を繰り返す利用者が一部の人に特定できるのであれば、行動障害に関する知見を学び尽くした上で、その人たちへの個別支援計画を重点的に検討し、最適な方針を出し直せばいいのです。あるいはまた、下の画像にあるように、不特定多数の人たちのさまざまな乱暴な使い方を想定して設計された高速道路のSAのトイレ設備からヒントを得て、壊されにくく、かつ、問題行動を引き起こさない合理的配慮(環境調整)のあり方を突き詰めて考えてみるべきです。

壁埋め込み式ホルダー−高速道路SAトイレで

暮らしの達人としての「知恵と工夫」―支援者の「知」のあり方
 生活支援に必要不可欠な知恵と工夫とは、ディーセント・ライフを構成する非定型と定型のそれぞれの生活部面に、利用者ごとの個別具体的な障害特性に関する専門的吟味を加えて編み出されていくものです。この複雑な考えの運びを個別支援計画に結実させるためには、支援者自身がある意味では暮らしの達人として「暮らしの中で生きる知」を不断に追究し、支援者間でそのような知をゆたかに交換しあっていることが基本です。ここにいう「知恵と工夫」を編み出す課題は、資格養成のカリキュラムや発達心理学に収まるような「知」のあり方だけでは、とても太刀打ちできるものではありません。
 このような支援者の仕事の実現を深めていくことに喜びを見出せるような職場を創造することなく、支援の創造という仕事のやりがいと手本を幹部・中堅職員が若い職員に提示できないまま、客観条件の貧しさを言い訳の材料にしてきた面がありはしませんか。それはまさに、貧しい福祉文化です。支援者と支援事業者には、実践の内包の充実に立脚して制度の外延的拡大がはじめて実現できるという命題を、今だからこそ受けとめ直す必要があると思えてなりません。

Copyright (C) 全国知的障害者施設家族会連合会. All Rights Reserved. tpl by pondt
inserted by FC2 system